Vol.74 東京−Bleu Ciel− [2008.11.26]

 夏が過ぎるといつの間にか秋がぐっと深まり冬になる。
当たり前のことだが、そういえば、今年は空模様が
いまひとつ『ご機嫌ナナメ』だったような。
そんな気がするのは私だけだろうか。
しかしこのところ、それをとりかえすかのように、
空は実にきれいなブルーだ。
ある日目覚めると、なんだかあたりが輝いているかんじ。
カーテンの隙間から見えたのは隣の家の壁と空。
それが見事に青と金色だった。
私が夢中になった本のひとつにアルベール・カミユの
「異邦人」がある。その中の一節に『眼の中に空の全体が写った。
それは青と金色だった』というくだりがある。
主人公とその彼女の海水浴の場面。ただそこに在るという現実が、
乾いたタッチの中に描かれ、私は、この文章の世界に夢中になったが、
――その朝の景色は、まさにその描写の中で特別に印象的だった
その『青と金色』。日本の景色には、なかなか見当たらないような
カラリと乾いた色調。素直に一日気持ちが良かった。

 つり革に全体重を預けるようにもたれかかった夕方の地下鉄で、
まっすぐに私の目に飛び込んできた車中広告!
「風神雷神図屏風」
夏の終わりの空模様にいつも思い出す『絵』。
それを本当に見るチャンスがやってきた。
上野の国立博物館に、この絵の本家本元、俵屋宗達、そして続く
尾形光琳、酒井抱一の3人の屏風絵がド〜ンと展示された。
風神雷神図屏風はやはり圧倒的に俵屋宗達だろう!
尾形光琳はそれを模写したわけだし。オリジナルは強い。
ともかく日本人のとてつもなく自由で粋な想像力、美意識が
圧巻の「大琳派展」だった。

 少し日をあけて、ひさびさにオフィスでひとりの日があったので
留守電をセットし少し早めにお昼に出た。いつも上司と
『安くて早い』お昼ばかりで、実はお昼はゆっくりしたい私は
ちょっと疲れ気味。ここは一丁、チョイト値は張るが、パンが
とてつもなくうまいホテル最上階のラウンジと洒落てみた。笑。
本物の生クリームの最後のデザートを食し、こうなるとやっぱり、
ちょい高の値段なんて関係ない。うんと満足。たまにはいいもんだ。
あら。最上階の大きな窓越しに眼に写る空はいつぞやの青と金色。
空はフランス語でCiel(シエル)。
この空の青は、混じりなく、黄みがかっても赤みがかってもいない。
純粋のブルーを水に溶かし、何滴かシルクの白を完全に
混ぜたような…。スカイブルーとも言うが、フランス語の
『ブル・シエル』という乾いた響きが何ともいえない。
そういえば日本語の空もSora、フランス語もCiel、
英語もSky、全部Sの音だ。まあ、いいや、
――そんな『空』に真綿を薄くちぎったような雲が
小さく浮かんでいる。ビルの23階からの空。
東京の空だもの、そう、お友達は『ビル』。
日本の建築物は世界でも屈指だが、こうやって見ると
その印象は非常に雑然としている。
じっと見ていたら、ふと日本って本当はとっても奔放なのかも、
と思った。団体を気にするくせに、風景の中の建物は
ひとつひとつがてんでばらばらな方向を向いている。
あの混沌を絵にしたような香港だって、実はその混沌さに
一定の決まりがあるようなうねりと匂いを発している。
東京のビルは違う。形も材質も向いている方向も本当にばらばら。
そしてなんだか匂いがない。それは自分が住んでいる街だから
なのかしら。自分のにおいはわからないというからナ…。
でもそこに、実はとっても、自由何かがあるような気がしてきた。
それは邦楽を聴いても分かる。
浄瑠璃や歌舞伎のせりふのあの大げさな節回しは何だろう。
花魁(おいらん)がいた世の中って一体どんなだったろう。
小唄や長唄の『大人かげんさ』には、ワインの国のフランスの
どんなムーランルージュやシャンソンだって追いつかないさ。

 すると太陽が急に背中を照らした。
熱い。しばらくずっとそうしていたいと思った。 

-END-

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