私と県劇 思い出のステージ
Vol. 10
 
熊本県吹奏楽連盟理事長 熊本県高等学校文化連盟理事長 早川英一
熊本県吹奏楽連盟 理事長
熊本県高等学校文化連盟 理事長
早川 英一

 大阪出身 声楽家の母と、和歌山出身 サクソフォーン奏者の父が所属していた全国各地を回る歌あり踊りありの劇団が解散したのが九州で、僕は阿蘇で生まれました。白水の水源で産湯じゃないですけど(笑)父と母は僕を音楽家にしたくて、レコードをどんどん買ってくれました。高校の時に家が火事になったんですが、火事当日には父がピアノを頼んでいて2日後に届きました。「3日触らんと指が鈍る」と。その時に両親の期待に応えて音楽をするのは僕の使命だと思いました。
 教師としての初任地は天草の聾学校でした。最初、音楽を学んできた自分が聾学校に配属になり戸惑いもありましたが、生徒達と器楽合奏を始めたんです。ある時、生徒達は僕の指揮に合わせて素晴らしい演奏をしてくれたんですが、終わった直後に手話で「上手だった?下手だった?」と聞いてきたんですよ。「この子たちは自分達の素晴らしい演奏を聴くことができなかったんだ」と、その時は涙が出そうになりましたね。
 次の赴任先の荒尾高校にいた昭和62年には全国高等学校総合文化祭のプレ大会がこの劇場で行われました。ステージの入れ替えがあるんですが、舞台上に段差を作るひな壇が当時はまだ電動ではなくて、パイプを組み立ててその上に板を置いて作らなくちゃいけなかったんですよ。30分以上かかると言われたそのひな壇作りを、7、80人の生徒達と訓練して10分強でできるようになりました。それで、翌年の総合文化祭でも荒尾高校吹奏楽部はステージに出演しながら各ステージのスタッフもしました。本当に大変だったですけど、子どもたちは泊りがけで熊本に来たので喜んでいました。全国から来られた方々からは「ここは音響がいいですね」とものすごく評判がよかったので嬉しかったですね。
 最近の子たちは塾や習い事ですごく忙しいです。「自転車で来る時に野に咲く花を見たか!」「アスファルトの間からタンポポが生えて来ているのを見て感動しないか!」とよく生徒に聞くんですが見てないんですよ。忙しい毎日を送っている子どもたちに僕は音楽をとおして感受性を育んでほしいと願っています。

   

熊本県立劇場広報誌「ほわいえ」Vol.130より

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