Vol.9 <金魚>(1)[2005.8.18]
すだれ、うちわ、風鈴など、昔ながらの夏の風物詩はいろいろあれど、熊本県人なら、ましてや玉名郡人なら、いわんや長洲町人なら、やっぱり金魚!! そう、長洲地方は奈良県・大和郡山地方、愛知県・弥富地方と並ぶ日本三大金魚生産地。日本で唯一の金魚の水族館がある「金魚の館」を中心とした「金魚と鯉の郷広場」があり、水族館では世界中の珍しい金魚が泳いでいるそうですものね。

また、8月20日には長洲町夏まつり「のしこら祭」が開催され、「金魚みこしタイムトライアルレース」などで沸くとか。大和郡山市では、20・21日に「全国金魚すくい選手権大会」が開催され、今年は3年かけて開発された金魚すくいロボット「ポイポイ君」が出場。といっても、上下運動が激しいため紙製のポイは使えない反則ロボットなので、正式選手としては認められないそうですが。

そんな金魚の町、大和郡山市の箱本館「紺屋」に行ってきました。藍染でも知られる紺屋町にあり、藍染に関する資料展示と体験、そして、金魚に関するコレクション展示が楽しめる資料館です。近年まで紺屋業を営んでいた町家が活用されており、ノスタルジックな風情がとても素敵で、金魚を意匠とする器など様々な美術工芸品を目にすることができました。
http://www.hakomoto.com/

そもそも金魚とは、3〜4世紀頃、突然変異で赤くなった中国・揚子江のフナが祖先で、そこから品種改良が進みました。日本上陸は1502年、室町時代です。初めはとても高価で特権階級だけの楽しみでしたが、 江戸時代も中頃になると庶民の間にも広がり、「きんぎょ〜え〜きんぎょ」のあの呼び声と共に金魚売りが町を歩きました。そして、浮世絵や川柳に登場したり、調度品の意匠になったりと、金魚は日本人の暮らしに深く関ってきたのです。江戸時代には雛祭りに金魚を飾る風習もあったそうで(夏の風物詩が早春にも出張!?)、現在、3月3日は「金魚の日」になっいます。

などなどと“にわか金魚マニア”になった私が、特に面白いと思ったこと。それは、本場中国の品種改良では形の変わった“珍”が、日本では優雅さなど“美”が重視されたこと。趣向の違いが如実に表れていますね。それから、熊本であれ、奈良であれ、また、長洲町にとって代わられたかつての日本三大金魚生産地、東京・江戸川地方であれ、金魚名産地の多くが、江戸時代、藩財政の一助にすべく藩主が武士たちに飼育を奨励したのが始まり。花を慈しみより美しいものにしようと精魂注いだ園芸と同じようなものだったのですね(本コラムVol.3Vol.7参照)。

武士は食わねど高楊枝。でも、生活のためには花や魚も育てたし、はたまた「傘貼り浪人」だっていた。それが、「働かざるもの食うべからず」の時代の生きるということ。現在、働かなくても食べていくこともできる豊かな時代になり、生きること、生活することから遠ざかる若者が増えています。豊かさだけが要因ではないでしょうが、考えさせられますね。

さて、 “にわか金魚マニア”が高じた私は、金魚に関連した物語を2冊読みました。今月はもう1回チャンスをいただき、その物語について書かせていただきます。ちょっと怖いお話の“納涼コラム”になるかも。
箱本館「紺屋」近くの土産屋。店内には“金魚すくい音頭”風のBGMが終始流れ、金魚づくしの品々が所狭しと陳列。店の外では金魚すくいもできます。
箱本館「紺屋」。紺屋町はその名の通り染物職人(藍染)の町。前の水路は、染色洗いのために設けられた排水路です。写真左下は、同館でお土産にいただいた折り紙金魚(大和郡山ボランティアガイドクラブ作成)。