Vol.60 細川ガラシャ(続)[2017.8.29]

 随分とご無沙汰をしてしまいました。4年ぶりに再開させていただきます。前回の細川ガラシャをお題に、長いブランクを一気に埋めましょう。

 芥川龍之介の作品に『糸女覚え書』という短編があります。これは「霜女覚え書」という史料に想を得た作品で、芥川のいわゆる切支丹物に分類される一編であり、彼の作品の特徴でもある古典を下敷きにした創作の一つとも言えますね。

 史料「霜女覚え書」は、ガラシャの最期を知る侍女の霜という女性が、事件から48年後、当時の肥後熊本藩主・細川光尚(家督を継ぐ前の名は光利。ガラシャの墓を熊本に建てた初代藩主・細川忠利の長男で、ガラシャの孫)の求めに応じ、ガラシャの最期の顛末をまとめた報告書です。その成り立ちを考えると、内容に霜おばあさんの記憶違いやフィルターがかかっていることもありそうですが、れっきとした史料です。

 芥川の創作『糸女覚え書』は、この史料の形式・文体を踏襲しつつ、芥川が糸という語り手(書き手)の目を借りて大胆にガラシャを解釈したもの。なんともシニカルにガラシャを批判しているのが特徴です。

 私には読み慣れない候文ですのでやや意味不明のカ所もありましたが、意外と読みやすく、候文独特の響きに心地よさまで感じて読んだものでした。ガラシャのことは亡き後の法名にちなみ「秀林院様」と呼称され綴られています。細川家の菩提寺として建立された熊本の泰勝寺跡(立田自然公園内)にもその名が刻まれた史跡が見つかると思います。

 一般的にガラシャの人物像については、史実以上に(史実と言っても完全なファクトチェックができる時代の人ではないですが)美化された小説やドラマが多いようですが、前回私が書いたように「絶世の美女であり、聡明で、意志の強い女性」というのが共通認識であり、優れた人物、素晴らしい女性だったと言ってよいでしょう。

 が、この小説ではガラシャすなわち秀林院様は、なんと「少しもお優しきところ無之(これなく)、賢女ぶらるることを第一となされ候」だの、「日本国の女の智慧浅きは横文字の本を読まぬゆゑ」と言っているだの、その顔立ちについても「御器量はさのみ御美麗と申すほどにても無之、殊におん鼻はちと高すぎ、雀斑(そばかす)も少々お有りなされ候」だのと、終始、糸さんはガラシャを悪しざまにあげつらってばかりです。

 もっともこの糸さん、婚活目的で細川家にお仕えし、信仰の話など初めからウザイと毛嫌いしているようなミーハー娘で、この小説はいわば「糸は見た!」ともいうべき悪趣味な告白本のようなものです。が、芥川はこのガラシャ像を通じて、当時(大正末期)台頭しつつあったインテリ女性の「賢(さか)しら」を批判し、知識層そのものを否定し、ひいては芥川自身をも自己批判している作品だと評する人もいるようです。

 小説の最後の方にとても印象的なくだりがあります。前回私も書いたように、キリスト教は自殺を禁じているので、ガラシャは家臣に胸を鑓で突かせることで自殺したとされているのですが、その一瞬前のシーンがこう創作されています。少し長くなりますが、引用します。

 「秀林院様は右のおん手にお髪をきりきりと巻き上げられ、御覚悟の体(てい)に見上げ候へども、若き衆の姿を御覧遊ばされ、羞(はづか)しと思召(おぼしめ)され候や、忽(たちまち)おん顔を耳の根迄(まで)赤(あか)とお染め遊ばされ候。わたくし一生にこの時ほど、秀林院様の御器量をお美しく存じ上げ候こと、一度も覚え申さず候。」

 この若き衆はお屋敷を守っていた一人なのでしょうか(私の候文の読解力不足によりはっきりしませんが)、突然姿を見せて消えるわけですが、彼を目にしたガラシャが、いつもはお高く留まっているのに恥じらいを露わにしてしまったと、まず、糸さんは気づいたわけですね。

 前回も触れましたが、ガラシャの夫の忠興は彼女に対する独占欲が強く、身の回りに男性がほとんどいない状態で暮らしていたようなのです(芥川もそれを前提に書いている)。で、この小説では、ガラシャは久しぶりに若い男性を目にして羞恥心を見せる。その様子を糸さんは「な〜んや、いい年して!」と思ったのでしょうか。芥川は「どんなインテリ女もそんなもん。偉そうに信仰を説きながら愚かなことよ」と言いたかったのでしょうか。

 でも、糸さんは「意外と可愛いとこあるやん!」とも思ったのでしょうか、その顔だちを「美しい」と初めて感じたというのですから。死を選んだガラシャの壮絶な覚悟とか、己を律する気迫とか、毅然たる言動が、はすっぱな糸さんの心をも揺り動かしたということでしょうか。芥川はこの一節だけガラシャを持ち上げたような描写をし、また、糸さんが急に成長したような感じで、とても印象に残りました。

 ところで、ガラシャの父、明智光秀による「本能寺の変」の真相については諸説あります。細かく分類すると50説以上もあるようです(試しにWikipediaの「本能寺の変」をご覧ください。その多さに私も驚きました)。

 その一つに、「イエズス会黒幕説」があります。フィクションの域を出ないと言われている説だそうですが、今年になって私は、殿村美樹さん(「うどん県」をはじめ自治体PR戦略などで実績のある実業家)がその説に立ち、「細川ガラシャがキリシタンになった本当の理由」という記事を日経ビジネスオンラインに寄せているのを読みました。

 殿村さんのこの記事コーナーは、「信頼できる史料に基づいて、著者独自の視点で、現代人にマッチする表現で書いて」いるそうで、いわゆる殿村さんなりの歴史ロマンなのですが、彼女はこう表現しています。まず、イエズス会の陰謀については

 ――(引用)私は以前より、織田信長が天下布武を宣言できた背景には、当時、世界規模でキリスト教の布教活動をしていたイエズス会の支援があったという説が真実に近いと思っています。そして「本能寺の変」は、そんな信長と不和になったイエズス会が裏で仕掛けたという説が現実的と思っています。つまりイエズス会が、信長のパワハラに悩んでいた明智光秀に「信長を討ったら、私たちはあなたが天下人になるよう支援しますよ」と働きかけて、光秀を動かしたのではないか、ということです。(引用終わり)――

 なるほど、なるほど。つまり、光秀はイエズス会の支援を頼りに天下人を夢見て「本能寺の変」に走ったということですね。じゃあ、ガラシャがキリシタンになった理由は?

 ――(引用)このことを「山崎の合戦」の前に忠興と玉に伝えたとしたら、その後の行動も理解できます。おそらく忠興はその真偽を親しいキリシタン大名の高山右近に確認したでしょう。そして高山右近が秀吉に従ったのを確認し、忠興は「義父は騙された」と考えて、みずからも秀吉に従ったのではないでしょうか。一方、実の娘である玉は父の話を信じたのかもしれません。だから秀吉から呼び出されたことを機に、「みずからキリシタンになってイエズス会に入り、夫を天下人にする」と考えたのではないでしょうか。(引用終わり)――
  引用文に関する高部の補説
  冒頭の「このこと」とは、上述の光秀に対するイエズス会の働きかけのこと。
  「山崎の合戦」は、本能寺の変を受け秀吉軍が光秀軍と激突し、光秀を敗北へと追いやった闘い。
  「秀吉から呼び出されたのを機に」とあるのは、好色な秀吉は美しいガラシャにもスケベ心を抱き呼び出して手を出そうとしたのですが、彼女が懐力を忍ばせていることが分り、ガラシャの覚悟を知って断念したという有名なエピソードのことです。

 なるほど、なるほど。確かに、いかにも武家の娘、武家の妻らしいガラシャ像ですね。なんだか現実的な説にも思えてきます。でも私は、ガラシャがキリシタンになった理由として、もっと情緒的な理由を考えていました。それについては話が長くなるので、また、次回にいたしましょう。




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