Vol.11 <古代ロマン>[2005.9.14]
先月8月26日の夕方、大阪南港が、ある船団を迎えて沸きました。熊本県宇土市を出航し約1カ月、10府県24の港を結んでやってきた「大王のひつぎ実験航海」の船団です。なんと1400〜1500年前の古墳時代に宇土市でつくられたとみられる大王(天皇)の石棺が、近畿地方でいくつも見つかっていることから、それが海路で運ばれたことを実証する航海だったというのです。

石棺の材料は馬門石(まかどいし)。約9万年前の阿蘇山大爆発で流れ出た火砕流が冷え固まってできた堆積岩の中でも、特に宇土市に産するピンク色をした別名・阿蘇ピンク石。実験では、これを使った約7トンもの「石棺」、船型埴輪をモデルにした「古代船」、自然の股木を利用した古代の大型荷物の運搬具「修羅」、石棺を載せる「台船」が復元されました。

九州と関西の考古学者をはじめ、石の彫刻家や和船づくりの匠や海運の専門家や漕ぎ手の学生さんや、そして、宇土市のそれはそれは様々な人が関わり、さらに、寄港地では漁協や地域おこし団体などこれまた様々な人が出迎え、さらにさらに、到着地の大阪では高槻市の古墳で市民が石棺を修羅に載せて引くイベントが催され、と、古代ロマンだけでなく、いくつもの異なる分野の人々が、また、いくつもの離れた地域の人々が、ふれあいながらコラボレーションするという、現代ロマンも感じさせる大事業だったのです。

詳しくは、後述の2つのサイトをご覧いただきたいのですが、これを拾い読みすると、船底となる1本丸木が国内では今や入手困難なため、樹齢約500年の米・オレゴン州産の松を使ったり、石棺を砂浜から船に載せるために、干満の差という“自然のクレーン”を利用する古代の知恵を改めて見出したり、航海の最終盤になって台風が接近したり、などなど関った人々の奮闘と熱情が伝わってきます。

そういえば、私の故郷、大分県の宇佐市(宇土市と一字違い! )でも、よく似た地域おこしイベントが行われました。『続日本紀』によると、宇佐神宮(全国の八幡社の総本宮)の八幡神が、奈良東大寺の大仏造立に協力し、完成時にはるばる都まで出かけて参拝したそうです。この時の八幡神を乗せた輿が“神輿の始まり”であり、これが史上初の“神と仏の公式の出会い”となり、日本独自の宗教観「神仏習合」が進んだとのこと。宇土市ほどトータルな再現ではありませんが、大仏開眼1250年目の2002年に、宇佐の人々が力を合わせ、当時さながらの拝仏セレモニーを東大寺で再現したのです。また追慕と温故知新の“なぞり”ということでは、今から800年ほど前に西行法師が訪ね和歌を残した道を、その500年ほど後に芭蕉が訪ねて『奥の細道』を書き、その後も、そして芭蕉から約300年後の今も、幾多の人々が誘われています。

遥かなる時空を超えたロマンの旅路。今回の「大王のひつぎ実験航海」では、考古学・古代史・海事史上の問題がいろいろと解明されたでしょうし、古代史ファンなど多くの人々が壮大なプランに心ときめかせ、特に宇土市民にとっては自ずと郷土愛が深まり、活力を呼ぶ素晴らしい地域おこしになったのではないでしょうか。

  大王のひつぎ(石棺)を運んだ古代船「海王」。私は大阪港ゴールの瞬間を見ることはできず、これは、27日・28日に行われた、停泊する海王を見ながらの説明会に出席した時のもの。大事業を終えてゆらゆら浮かぶ小船。本当に「ご苦労さま」。漕ぎ手のパワーで快走し、石棺を載せた台船を引いたり、多くの人々に送迎されたりなど、その雄姿をはじめこの事業についての詳しいことは下記で見ることができます。

●大王のひつぎ実験航海実行委員会
http://www15.ocn.ne.jp/~daioh/
●読売新聞の特集ページ
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/