Vol.41 猫(2)[2008.10.2]
 実は、私は犬も猫も飼ったことがなく(幼いころ故郷で、ニワトリ、ウサギ、山羊、その他昆虫いろいろは飼ったことがある)、猫といってもペットとして観る目はありません。で、今回は猫でも漫画の“ニャロメ”の生みの親であり、愛猫“菊千代”を長男と呼んで可愛がっていた赤塚不二夫さんが亡くなったことに端を発しての一筆です。というか、葬儀でのタモリさんの弔辞が“端”なのであります。

 赤塚さんの葬儀はもう2か月ほど前のことですが、その時の様子がテレビで流れるや、タモリさんの「私もあなたの数多くの作品のひとつです」と結んだ8分に及ぶ弔辞の内容の素晴らしさもさることながら、手元の紙には何も書かれていなかった、つまり、白紙を見ながらスラスラとナガナガと弔辞を述べたことが話題になりました。

 あれは歌舞伎「勧進帳」を模したタモリさん流のギャクだったそうです。そう、山伏姿に身をやつして逃避行する義経一行が関所で見とがめられた際、弁慶が白紙の勧進帳を読み上げるなど機転を利かせて危機を脱するお話です。関守の名は富樫(トガシ)左衛門、タモリさんのマネージャの名前もトガシ。それが“落ち”なのだそうです。なんでもタモリさんは、葬儀前日お酒を飲み、弔辞を書くのが面倒臭くなって「赤塚さんならギャグでいこう」と思ったとか。しゃべりの達人・タモリさんの凄さと、第三者にはうかがい知れない赤塚&タモリの濃密な関係が感じられるお話ですね。

 タモリさん本人から真意を聞き出したのは、横澤彪(よこざわ・たけし)さん。元フジテレビプロデューサーで、「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などの人気バラエティ番組を数多く手がけたことで有名ですし、「オレたちひょうきん族」のNGを懺悔するコーナー「ひょうきん懺悔室」では神父に扮して出演していました。後に吉本興業に入社した(その後退職)ことでも話題になった人です。

 この横澤さんは、その昔、若きタモリ&たけしについて、「タモリは柔で、受け身の芸」「自分だけが一人で先鋭的に突っ走るのではなしに、スタッフとかブレーンの力をより引き出すことを狙う」とし、「たけしは剛で攻撃的」「自分をギリギリ追い詰めていって、極限の中から何か鋭いヒラメキを生み出そうとする」と分析。しかし、二人は「兄弟というよりも双生児」に近く、「生真面目でいい加減なところが他のタレントとは比べられないくらい似ている」と評しています。

 その後、“昼の顔”は無理だろうと思われていたタモリさんが20年以上も「笑っていいとも!」を続けていて、たけしさんはフライデー襲撃事件や生死をさ迷うバイク事故を起こし、映画監督としても活躍するなど波乱多き人生を続けていて、それぞれに人となりが変わったこともあるとは思います。が、きっと二人とも「生真面目でいい加減なところ」は変わっていないのだろうと私は思っています。

 で、「生真面目」はそれなりに持ち合わせてきた私としては(自慢でも卑下でもゴザンセン)、「いい加減」ということが憧れであり、求道の対象なのであります。タモリさんは、弔辞で赤塚さんのことをこう言っています。「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。」
 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080807/tnr0808071147002-n1.htm

 そうなのです。「これでいいのだ」と割り切れる。何があろうが平気で生きていける。そんないい加減さって、いいな〜と思うのであります。

 ところで、今、鬱を病む人が増えるなど鬱傾向の時代にあって、かつて人を「ネアカ」「ネクラ」と断じ、「ネクラ」が嫌われる空気があったことが問題になることがあります。そして、その空気を流行らせた軽佻浮薄な張本人がタモリさんだと非難されることがありますが、タモリさんは「こう見えて、オレは根が暗いから」と自分を評するなど、「表面的に明るいが、根は暗い人」という意味で使っていただけ。それが世間的には「根っから暗い人」という意味で浸透したようです。

 で、タモリさんの名誉回復も込め、根は暗くても「いい加減さ」があれば明るくいられるのではないか、と私は言いたいのです。「それができないから沈んじゃうのよ」という意見はあるでしょうし、「明るくなくてはならない」と言っているわけではありません。が、“いい加減に”“平気に”明るく生きれば、本人も周囲も楽しいと思うのですが、どうでしょう?