Vol.47 ある碑(2)[2009.4.1]
 昨年12月のこのコラムVol.44で、聖徳太子建立の日本最初の官寺である四天王寺に、江戸期、肥後国益城郡中島の住人だった田代孫右衛門さんが建てたという「千人斬りの碑」があることをご紹介しました。許嫁の心変わりに落胆し、千の生き物の命を殺めることで相手をも呪い殺そうとした彼は、千番目の亀を相手に命取りの満願を果たそうとした時、母の捨て身の阻止行動によって目を覚まし、仏道へ導かれる、そんなお話の由来を持った碑でしたね。

 では、どんな碑なのか、実際の姿をご紹介しましょう。すらりと伸びた全体像は命を殺めるための刀を思わせる形状(写真左)、台座は少し判りにくいかもしれませんが千番目の犠牲になりかけた亀の形(中央)、そして刃状の部分には、これも判りにくいかもしれませんが彼を導いた阿弥陀さんなのでしょうか、仏像が彫られています(右)。以前はそんな謂われなど知らなくて、気づかずに通り過ぎていたのですが、今は、通るたびに立ち止まってしまいますね。


 ところで、神代の時代にも、怒り狂って「千人殺す」と叫んだ人(神)がいました。伊邪那美命(イザナミノミコト)です。男神である伊邪那岐命(イザナキノミコト)と共に、日本の国土、そして、風や川、木、土などあまたの神を生んだ女神ですね。しかし彼女は、火の神を生んだとき火傷をして死んでしまいます。悲しみにくれる夫のイザナキは、妻に会いたい一心で死者の黄泉(よみ)の国へ出向きます。彼女は「もう私は醜い姿になっているので帰れない」と言いつつ、夫の熱心な言葉に「ちょっと待って。この国の神と相談してみるから。その間、決して私を見ないでね」と。でも、なかなか出てこない妻にしびれを切らし、彼は黄泉の国に足を踏み入れてしまい、そして、全身ウジまみれの醜い妻の姿を見てしまうのです。

 怖気づいて逃げるイザナキ。「なんで見たのよ!!」と怒り狂って追っかけるイザナミ。猛烈な追跡劇の後、逃げ切った彼は黄泉の入り口を石で塞ぎます。そこで、激昂したイザナミは「あなたの国の人を毎日、千人殺す」と叫び、イザナキは「おれは毎日、千五百の産屋を建てる」と応酬したのです。

 この「<千人殺す>の元祖イザナミ」のお話は、もちろん『古事記』の中の神話。これによって人間は「必ず死ぬ」ようになり、また、イザナミによって殺される千人よりイザナキが建てた産屋で生まれる人のほうが差し引き五百人多いわけですから、いずれは死ぬが「次に若い命が生まれる」ようになった、という人間の宿命を説明しているのだそうです(他にも説はあるようだけど)。

 で、ある新聞の記事によると、作家・桐野夏生さんの新作『女神記』は、彼女が、鎌田東二さんの『呪殺・魔境論』に、日本の怨みの発祥はイザナキとイザナミの話に遡ることができるといった記述があったことから着想したそうです。で、彼女は次のように言っています。

 ……『古事記』という物語の発祥を考えると、やはり大和朝廷が、母系性社会を崩していくのに使った道具だとは思うんです。特にイザナミとイザナキの話は、産む性である女の神が穢れを背負い、逆に、産ませる性の男の神が、アマテラスを産んでいく。そこにねじれがあって、すごく政治的な物語に作られている。また、政治的な話をジェンダーの話に置き換えているところが非常に狡猾だと思うんです。……<高部の注:そうなんです。天照大神(アマテラスオオミカミ)は、上述のイザナミとイザナキの追跡劇と言葉の応酬の後、イザナキが黄泉の穢れを清めるために左目を洗った時に生まれたんですよ。>

 そこで私、時々、仕事をご一緒させていただいている林豊さんに、『古事記』の男性・女性について、ちょこっとお尋ねしました。林さんはルポライターで、日本の古典文学や民俗・芸能に関心があり、史跡や社寺に関する著書もある方です。
 ▼林豊さんの著作(オンライン書店「ビーケーワン」より)
http://www.bk1.jp/books/authorSearchResult/?authorKana=%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%B7%20%E3%83%A6%E3%82%BF%E3%82%AB&authorId=110002398090000&author=%E6%9E%97%20%E8%B1%8A

 すると、林さんは『古事記』についての諸説を交えながら、次のように教えてくれました。

 ……僕も「大和朝廷が母系社会を崩していくのに使った道具」という意見に反論はしません。なにしろそれまで社会は女性に牛耳られていたのですから、やっと武力で大和政権を樹立した男どもが一挙に政治的な主導権も握らなあかんと思ったんでしょう。しかし、まだまだ女性の恐ろしさを認識していたと思います。その証拠がイザナミとイザナキの話です。実はここには男の悲哀がある、と僕は思っています。
 国生みしたのはイザナミ、人間にはじめて火を与えたのもイザナミ、火生みによって原初の死を示したのもイザナミであったと古事記は記します。いわば、イザナミは地上の人間における根本命題である「性」と「生」と「火」と「死」の創始者、換言すれば、この世において「母なるもの」の存在が如何に重要であるかといっているのが、イザナミとイザナキの話なんですね。
 天と地があってその間に人が存在する。自然界・人間界の生存・発展にとって天父神と地母神のどちらが重要かは、宙に足が浮いた天父神より、地に足を置いた地母神の方にあるということは子どもでも解ります。女性は偉いんです。凄いんです。古事記は、母系社会を崩していくのに使った道具というよりは、「少しは僕ら男の力も認めてよ」という男の悲しい願望が込められた物語なのでございますよ。……

 「そうなんや!」「それって生活実感?」と感心したり笑ったりしていたら、今度は、1月18日放映のNHKスペシャル<性の謎を最新科学で読み解くシリーズ3「女と男」>を見て、びっくり。生き物の“基本形”はメスで、オスはそこから派生した、というのが生物学の常識だというのです(タイトルからして女に気を遣ってるみたいだったけど、生物学的真理からだったのですね)。

 このお話の続きは、次にしましょう。せっかく男と女の問題から解放され、仏の道を見出して安らかに眠っておられる、肥後国益城郡中島ご出身の田代孫右衛門さんには、その半生をネタにあれこれ話を拡げて申し訳ないのですが、どうかお許しくださいね。