Vol.50 阿蘇と飛鳥[2009.12.25]
 夏以来、ご無沙汰しているうちに、今年も随分と押し詰まってしまいました。久しぶりの一筆です。

 この秋のことでしたが、仕事で飛鳥に行き、レンタサイクルであっちこっちのどかな万葉のふるさとを巡ってきました。万葉文化館、犬養万葉記念館にも立ち寄りました。犬養万葉記念館は、有名な万葉学者・犬養孝さんを顕彰してつくられたもの。そこで初めて知ったのですが、犬養さんは旧制五高で学んだ人なのですね(出身は東京)。旧制一高受験失敗後、お父様の出身地である熊本に旅をし、結局、阿蘇の噴煙に憧れて五高を選んだそうです。

 五高在学中、犬養さんは何度も阿蘇山に登山しました。学校をさぼって出かけた11回目の登山では噴火に遭遇し、命からがら逃げたそうです。そして、それが生涯の励み、心の糧となり、疲れたり筆が滞ったときなど、「おれは、あの噴火する阿蘇に登ったではないか」と自分を鼓舞し、研究を深めていったとのこと。大地の雄叫びが学問への情熱と呼応していたなんて、人々が森羅万象に神秘を見出し、自然ともに生きていた万葉の時代を語る犬養さんに、とてもふさわしいお話ですね。1998年、91歳で亡くなりましたが、旅立ちの衣には旧制五高の校章がつけられていたそうです。

 ところで、犬養さん独自の歌い方で万葉集を朗唱する“犬養節”は、大変有名だったようですね。どんな声、節回しだったのでしょう、残念ながら、私は聞いたことがありません。声に出して歌うということでは、万葉文化館で、「文字」以前の「声」で歌われた古代の歌にちなむ展示紹介がとても印象的でした。若い男女が集まって求愛の歌謡を掛け合う「歌垣(うたがき)」という風習も、古にはあったそうですよ。そういえば、映画「未知との遭遇」の“レミドドソ♪”。あれは、未知なる宇宙人と掛け合おうと、地球人が発した声でしたね。

 声については、最近、ある言語学者の書いたものから知ったのですが、人間は“死の危険”を犯して言葉を獲得した、つまり、声を出してしゃべるようになったそうです。どういうことかというと、食べ物を喉に詰まらせて窒息死することがありますが、それは、発音するのに必要な空間を確保するために喉頭が位置を下げ、食道と気管の入り口が交差し接近してしまったからなのです。サルはそんなことはありませんし、人間だって生まれたばかりのときは喉頭の位置は高く、成長とともに下がるそうです。

 言葉を持つのは人間の人間たるゆえん。細やかにコミュニケーションするために、深く思考するために、私たちは命をかけているんだ。ちょっと大げさではありますが、そんな人間の幸いと業(ごう)を思いつつ暮れる2009年です。皆さま、来年もよろしくお願いいたします。

 ▼万葉文化館
 http://www.manyo.jp/
 ▼犬養万葉記念館
 http://www.asukamura.jp/shisetsu/inukai.html