Vol.58 日本一[2013.6.17]
 6月に入ってこのサイトの掲示板に書き込みをしたとき「うっとおしい梅雨ですが、元気に乗り切りましょう」などと、実にイージーな常套句を使ってしまい、面目なく思っていました。そう、今年の梅雨はどうも行方不明というか挙動不審というか、不思議なありようですね。もう梅雨!? と入梅宣言に驚いたのもつかの間、心地よい初夏の陽光や春嵐が続いたり、いきなり真夏日が押しかけてきたり。大阪は、15日の土曜日は久しぶりの雨になりましたが、翌日はすっかり雨も上がり、時々顔を出すお日様はギラギラしています。日本全体が空梅雨のようで、近畿では当地を潤す水源、琵琶湖は大丈夫? と夏の水不足が心配されるこの頃です。

 さて、“日本一”といえば、スポーツなど競技での成果に限らず、気持ちの良いものです。「ナンバーワンよりオンリーワン」の励ましメッセージも良いのですが、やっぱりナンバーワンは痛快です。もっとも、大阪府はずっと「ひったくり件数日本一」の不名誉に輝き(?)、汚名返上したり、汚名に返り咲いたり(?)しており、こういう日本一は困りものですが。

 熊本の日本一といえば、2011年ゆるキャラグランプリ第1位だったくまモンは、昨年はエントリーを辞退し、まさに殿堂入りの風格。日中関係をゆる〜くする期待を担って、今春には外交舞台にデビューもする活躍ぶりです。また、熊本県が発信する情報サイト「気になる! くまもと」で、「過去の記事を検索」に“日本一”とキーワードを入力しクリックすると、日本一の熊本の自然や生産物などがヒットしますよ。
●「気になる! くまもと」http://www.kininaru-k.jp/

 さて、大阪ですが、先日13日、日本一高いビル「あべのハルカス」の中核施設である「あべのハルカス近鉄本店」が、来春のビル完成を前に先行オープンしました。大阪の繁華街といえば、キタとミナミ。その合間に埋没していた観のある阿倍野・天王寺エリアの活性化が、この日本一のビルに託されているようで、多くの来場者を得て好調な滑り出しのようです。
●「あべのハルカス」http://www.abenoharukas-300.jp/

 「あべのハルカス」に限らず、大阪では“関西復権”の呼び声高く、新しいエリア開発がいろいろと話題になっています。5月26日には、大阪はキタの中心地、JR大阪駅北側の再開発地区「うめきた」の複合施設「グランフロント大阪」がオープン。いまだに来訪者の人並みは絶えず、大変なにぎわいです。
●「グランフロント大阪」http://www.grandfront-osaka.jp/

 復権というからには、かつて手にしていた権利とか権威を再び、と? そうです。古代中世近世の歴史はともかく、大阪は大正時代末期から昭和初期にかけて、“大大阪(ダイオオサカ)”と呼ばれていた栄光の時代がありました。当時は、人口が東京市を上回り、近世以来“天下の台所”に担ってきた豊かな経済地盤を活かして、あらゆる産業が栄え、文化・芸術・産業の中心として近代建築が華開き、街には活気があふれていたのです。

 その後、東京市は市域拡張によっていわゆる大東京市へ発展。さらには第一次世界大戦後の恐慌に続く、あのウォール街大暴落に始まる世界恐慌によって、それまで羽振りの良かった大阪の繊維や金属産業が大打撃を受けて衰退し、その後、さらに次の世界大戦へ向かう中で、東京に対し大阪の相対的地位は低下していきました。そして、戦後の高度経済成長の終焉とともに、日本は本格的な東京一極集中時代の幕を開け、大阪は東京に次ぐ日本第2の都市に甘んじ続けているのです。

 あの高度経済成長を象徴する1970年の大阪での日本万国博覧会のにぎわいは、燃え尽きる前に一瞬明るくなるろうそくの炎のようなものだったのかもしれません。などと、大阪市民が自嘲的な発言をしていてはいけません。「ガンバレ!! 大阪」です。とはいえ、「グランフロント大阪」も「あべのハルカス近鉄本店」も未体験で、なかなか足を運ぶ気がしなくて、ほんとプライベートでは行動力を発揮できない私ですので、説得力があまりありませんね。

 で、通産省在職時代に大阪万博を担当し、現在、大阪府市特別顧問を務める作家の堺屋太一さんは、こうした大阪の街づくりについて、ある意味、苦言を呈しています。曰く、ものすごい規模の複合施設「グランフロント大阪」も、日本一の高さを誇る「あべのハルカス」も、「極めて常識的な施設」であり、「いつまでにぎわいが続くがわからない」。「東京では話題にもなっていない」(本当ですか? マリコさん)。「広く注目を集めるには世界を驚かす『異形』が必要になる」というわけで、ご自身プロデュースの大阪万博のシンボル、太陽の塔を賛美しているのです。

 実際、大阪万博では、何倍もお金をかけたシンボルタワーが別にあったそうですが(私はこの大イベントも未体験)、人々の目は太陽の塔に集まり、今もあの歴史的万博とともに語られ続けていますものね。見慣れない迫力あるビジュアルの、あんなにでっかいものが目に入ってくると、「じぇじぇじぇ!」どころではありません。気になってしまい、近寄って何なんだろうと確かめたくなりますよね。今も保存され、そばを通る大阪モノレールを私は仕事で時折利用するのですが、乗るたびに自然とあの異形の存在に目が行ってしまいます。

 要するに、「規格大量生産時代は終わり、幸せの尺度は『物財の豊かさ』から、『満足の大きさ』に変わった」というわけで、街づくりもモノづくりも「常識を超えろ!」「もっと、とんがれ!」というのが堺屋さんの主張。大阪も、ミラノやロサンゼルスや上海同様、独創性で繁栄する“二番手”になれ、ということのようです。

 ところで、1970年、大阪万博開幕直前に、大阪ではぶっ飛んだ発想のあるビルが完成しています。大阪は中央区、都心真っ只中に、高速道路の下、東西約930メートルに連なる「船場センタービル」です。南北に伸びる御堂筋や堺筋など9本の道路を挟んで1号館まで10号館までが連なり、地上4階(一部の館は2階)・地下2階に、事務所などは別にして繊維・ファッション&・グルメなどのお店が約800店舗集まっています。
●「船場センタービル」http://www.semba-center.com/

 完成当時「横に寝たエンパイアステートビル」と言って驚いた米国人もいたようです。そう、確かにこのビルをヨイショと起こして縦にすれば、1000メートル近い超高層ビル。現時点の高さ世界一の建築物、ドバイのブルジュ・ハリーファ(828メートル)よりも高く、ましてや同ビル本体の屋根の地上高は636メートルなので、「めっちゃ勝ってまっせ!」。そして、日本一高いビルのあべのハルカス(300メートル)や、日本一高いタワーの東京スカイツリー(634メートル)よりも、「ものごっつ高いでっしゃろ!」というわけです。

 建設の経緯はこうです。いわゆる“船場”の歴史を語ると長くなるので、戦後から。戦後の焼け跡には繊維問屋などが密集し、車がいつも大渋滞。御堂筋など整備が進んだ南北の道路はさておき、東西に幹線街路を通そうとすれば、多くの店舗(当時400戸とか)の立ち退きに膨大な費用がかかる。そこで妙案――道路の一部を高架にする、その道路の下にビルを建てる、ビルの床を売却して事業費を抑える――これは、全国的にも前例のないアイデアでした。こうして、東西の街路と高速道、地下鉄の建設が同時に進み、立ち退いた店などが新しい売り場を得た、というわけです。

 私は大阪人になってしばらくしてからこのビルでショッピングする楽しみを知ったように思うのですが、いや〜、驚きました。ほんとファッションはなんでも揃います。驚くような大安売りで、あるいは、インポートマートのゾーンもあるので高価な海外品までお手頃価格で買えるわけです。かと思うと「小売致しません」の張り紙のある卸専門店も混在し、初めはなんのことかと驚きましたが、とにかく10号館全部を通して1階と地下1階くらいは、「宝探し」よろしく歩き回った思い出は数しれません。通路の両側に店が並んでいるので、目はキョロキョロ、足はフラリフラリと、ほんと忙しいですよ。

 それにしても「思い出」? そうです。最近はそんなエネルギーなどは、とてもとてもありません。「グランフロント大阪」にも「あべのハルカス」にも足が向かない原因は、早い話がもともとプライベートでは出不精の私が、加齢によってさらに行動力が衰弱し人ごみを忌避するとともに、物欲も減退しているということかもしれません(と、妙に堅苦しい自己分析)。もっとも、引きこもりがちながら街や世間への好奇心は絶えることなく、仕事の意欲や行動力は全く衰え知らずですよ(と、ある意味、自己弁明)。



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